ウチの街にはキャパが700人だがなかなかいいホールがある。残念なのは舞台幅が今イチ狭くて、オーケストラが乗れないこと、駐車場が少ないこと。地方のホールにとってこれらは致命傷だ。グランドピアノの価格に「ナニっ!イッセンマン??」と悪徳楽器屋に騙されて買わされたかの如く皆口々に吐き捨てる。ヤマハのCF3に驚いてたらスタインウェイなどどうなるんだろう、そもそもコンサートピアノの選択肢は少ない。このホールで過去まあまあお客が入ったのは「ベンチャーズ」ぐらいで「上田正樹」ですらガラガラだったらしい。なのに仲道郁代が満員なワケないか、、、。
必要としているから魂になるのであって、必要としていない人にベートーヴェンは語れない。しっかし「イッセンマンのピアノもたまには弾いてもらわんとムダになる」というなら、とりあえず聴きに行けよっ、ちゅー話だ。1万円払ってもヤマハでもいいから彼女の「熱情」を聴きたかった。
ボク的には、毎回夜は仕事で飲み会に行けず、あの「余興」の競演を見られないのが消化不良なところ。
「踊りまくり」だったというウチのカミさんの姿も含めて、、、。
開店して1年、2年と徐々にお客様も落ち着き、最近は「警戒水位」を切る日も多く一喜一憂の日々。せめてこのレベルを「0」にアジャストしていよいよ3年目に入ろう。石の上にも3年。田舎のペースにも慣れてきた。
佐平治の蔵で使っている食器や調理器具は横浜の「アトリエ」で使っていたものも多い。料理を盛るときいろいろな風景がよみがえる。ふとそんな瞬間、人生の距離、みたいなものを感じることがある。今日改めて「佐平治の蔵、誕生までの道のり」をSTEP1から読み返して見た。ここでの歴史はまだまだ始まったばかり。この1年も、ここで出会うお客様と新しい時間をきっちり刻んで行きたい。
天災は文明社会をあっという間に原始時代にリセットする。人間の生活を「うたかた」とあざ笑うかの如く、、、。必需品、愛着のある物、思い出の詰まった物たちは無惨にも廃棄物にされ、あられもない姿でうずたかく積み上げられてしまっていた。
励ましの言葉も空しいが、がんばろう。物は失われても魂まで奪われはしない。水没したバスの上で一夜を過ごした人たちは「上を向いて歩こう」を合唱したと言う。音楽で世の中は変えられないが、人を救うことは出来る、と誰かが言った、、、。
ちなみに「森伊蔵」はこの1本が終わったら終わりにします。常に揃えておく「ほどの」ことはない。
昨日(と言うか今朝)帰ったら、バラの花が飾ってあった(らしい、、、苦笑)。
ある女性、と再会して2年。2年前の今日、開店したばかりの「佐平治の蔵」に彼女が来てくれた。後日「お祝いに」とバラの花束をもらった。その時のバラより色合いが少し鮮やかなようだ、、、。
その女性は今、ボクが帰ると毎日スヤスヤ(?)眠っている。
今年の6月、地元の同級生の旅行で京都に行った。当然壬生周辺を散策した。初代屯所だった「八木邸」では芹沢鴨を粛清した際の刀傷を見たし、山南敬助が切腹した「前川邸」も行った。今でこそ近代的な建物も多いが、中心地からはすこしはずれた豪農の村の「名残」を感じると、江戸から意気揚々と来た青年たちが、暴れ回り、名は成したが、所詮京都の人にはたった5年で姿を消した「一陣の風」に過ぎないことが古都独特の空気に読める。迷惑な「ワカゾー」軍団だったんだろう。それがよく描かれている。
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